秋元康とラストアイドルと欅坂
欅坂46のライブツアー最終日。衝撃的すぎて、燃え上がるものがあったので、またtsudaって、まとめてみました。
ちな、神戸の初日の感想戦はこちら。
黒字の紙に白鉛筆で描く絵コンテ
結局のところ欅坂とは何なのか?ということを考えた時に、アメコミのダークヒーローなんじゃないかって今日のライブを見て思ってしまった。属性は闇。しかし、メッセージは正義。今までのアイドルが勧善懲悪としたら、欅坂には、そんなダークナイトな匂いを感じた。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
それは、前回のライブを見た時に、漢字を影、ひらがなを光と思った時のように、いや、それをさらに昇華させたような、そんな怒涛の演出。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
それを強く感じたのは、ひらがなの時は、光が彼女たちに当たって神々しく見えて、光の中に暗闇があるっていう感じだったけれど、欅の時は、闇の中に光がさす。照明デザイナーの東海林さんの技法やスケッチのように、あの絵コンテ、黒地の紙に、白の色鉛筆で描いたんじゃないかって思ったくらいだった
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
平手=山口百恵ではなく、尾崎豊説
だからこそなのか、平手=山口百恵ってい図式を勝手に思い描いていたけれども、それはアイドルの範疇であって、欅=アイドル出ないという仮定のもとでは、僕には尾崎豊に見えた。尾崎豊を生で見たことないし、世代でもないけれど。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
なんか、命を燃え尽くしていく感じ、反骨的な歌詞。平手=尾崎、欅=ダークヒーロー。そんなことを思ったりした。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
それに呼応するように、もう本当にひらがなけやきは天使!歌も天使!救い!我らの救い!なるほど、欅で世界を滅ぼし、けやきで世界を救う。僕らが求めていた救世主は平手じゃなくて、けやき坂だったのか。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
菅井ちゃんがマイクを逆さにするボケすらもかき消すように、ひらがなのMCはもうアイドルそのもの。クソどうでもいい、正直レベルの低いMCに癒されるとは、もう本当にいったいなんて日だ!
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
僕らはこうやって、欅で終末を迎えて、でも、そこに差し込む光に、あーだこーだ言いながら、欅についていく、そんな宗教なんだろうなって思った。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
かわいいは正義とはこういうこと!圧倒的宗教。入教希望します!
虚構と現実の狭間。リアリティショーとしての欅坂46
今回の欅のライブを総括するなら、劇場。最初は映画がコンセプトなのかなって思ったのだけれど、これはリアリティショーだった。いわゆるアメリカのショーとも違う、ショーとリアリティの間。虚構と現実の間。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
平手の体調不良という現実、ずーみんの復帰という現実、アイドルっぽく振る舞おうとしている現実。そこに、アイドルではありえない虚構という演出を加えることで、ショーでもリアルでもない、その狭間を、しかもドラマではない、生で見せられるという、本当の意味でのりリアリティーショー。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
今回の欅のライブの演出を僕なりに言葉にするならそんな感じ。嘘は真実の中に隠すと真実味を帯びるように、演出を現実に織りまぜることで、今まで見たこともない、いや、感じたことのない、境界線のあやふやなライブになったんじゃないか。何が本当で何が嘘かわからない。特に平手の笑顔なんて。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
そんな虚構と現実の狭間を行き来させられながら、圧倒的物量で楽曲を見せつけられると、圧倒的大混乱。もう頭の中大混乱。吐きそうになるほど意味不明。なんでずーみんの復活ソロのあとに、あんなクラブのような演出ができるのか。やばい。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
途中まで、もう無理。俺やっぱもう欅無理かも!って思ったけれど、ずーみんのあとの重低音で、もう変なスイッチ入って、もっとやってくれ!もっと狂わせてくれ!もっと、喜怒哀楽を揺さぶってくれる!!と飛びまくった俺いた。疲れさせるライブ。最高かな。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
もっともっと頭の中を揺り動かしてくれと思ったし、次はもっともっと、真逆に振れて、心が追っつかない、混乱を招くくらいの演出であってほしい。それでも、あの高く跳べからはじまる、上げ曲の連続と、アンコールの最高潮を考えたら、すべてを圧倒と思う。ただただ、凄いとしか言えないライブになる。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
そんなこんなで今日の演出は、どんなに言葉にしても滑稽だし、ただただ平手がやばい、やばいライブだったとしか表しようのない、よかったではなく、やばかったって、やばいってのはこうやって作ればいいのかっていうお手本のようなライブだった気がする。演出家、ちょっと狂ってんじゃねーか。天才かな
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
もうちょっと自分でも何言ってるかよくわからなくなってきた。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
とりあえず、やばかったってところだけ伝われば本望です。
リアリティショーとしてのラストアイドル
秋元康企画のラストアイドル、ラストという言葉には、アイドルをすべて終わらせるとか、最終型、究極のとか言う意味だったり、もしかしたら前のアイドルに戻すという意味もあるのかもなって思っていたけれど、1対1のバトル形式にしたのは、はやりのフリースタイルを取り入れてるだけではないだろうと
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
欅から推測するに、ASAYANみたいな課題が課されていってそれに立ち向かうRPG的な物語を一緒に見るのではなく、対決形式でそこに生まれるドラマを共有する、よりリアリティ・ショーの感じが強くなるシステムを選んだんじゃないかなと。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
1対1ほど決着がわかりやすいものがないってのは、キングオブコントの審査形式がそうなったことからも分かるし。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
アイドルに必要なのは成長ストーリーでも、会いにいけることでもなく、虚構と現実の狭間であるリアリティ、リアリティ・ショーなんじゃないか、そしてそのシーン、言動に視聴者がおのおの感じ取る、感じ取らせようっていう、趣旨の企画、アイドルなんじゃないかと思い始めた。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
アイドルって一体、どんな存在なのか?
正直なところ、今日のライブはもやもやがたまったし、好きかと聞かれたら、苦手と答えてしまうと思ったのだけれど、だけれども、それは僕が欅にアイドルを求めてたからであって、もっとスカッとしたかったからであって、お門違いな感想である。だから今日の演出はいいのだろうなあと客観的に。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
アイドルっていうのは夢を重ねる存在であって、それは夢破れた人が夢を託したり、頑張っている人が応援してもらえるような、元気づけられるような存在だと思っていたのだけれど、それは2000年台後半の話であって、もう、そうではないのかもしれない。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
菅井ちゃんが「綺麗事かもしれないけれど」と何度も言っていたけれど、アイドルっていうのは綺麗事を歌う存在で、どんなときでも励ましてくれる存在で、だから、乃木にも欅にも応援されるような詩がないことを僕は憂いていたけれども、でも、時代はそうではないのかもしれない。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
大声ダイヤモンドは、君が大好きだと叫べと言っていたけれども、僕はそれだけで別に恋愛以外でもがんばれた気がしていたけれども、希望的リフレインが受け入れられてないことを鑑みても、もう綺麗事な応援ソングな時代じゃねーなって。いまさらな。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
ま、それでも、サイマジョもせかあいもセゾンも愛だの友情だのをうたってはいるのだけれども、なんか視点が違っていて、こちら側ではなくあちら側でとどまっているなと。君が好きだと全力で叫ぶのではなく、君はセゾンと自分の中だけで完結していく。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
ま、つってもサイマジョとせかあいの歌詞みてると、こちら側の世界に侵食してるし、君は君らしく生きていく自由があるとか、今すぐ僕は君を探しに行くとか、ぜんぜん、AKB的だった。歌詞よりもメロディで跳ねた2作と、後半の2作、歌詞の作り方ちがうのかな…やっさん
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
ツッコミどころは満載だけれども、そんなこんなで「僕」がどうするか、「僕」がどうしたいかを歌うことと、リアリティショーというのはすごくかみ合わせが良くて、応援される立場から、並走する、あっちががんばってるからこっちも頑張るみたいな感じに変化したのかなと。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
愛だ友情だのと語るのではなく、一人ぼっちになる準備が必要だと説いた海援隊、いや武田鉄矢がやっとここで結びついてくるわけですね!
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
そういえば、武田鉄矢つながりで、平手の叫びは、なんだか3年B組で上戸彩が出てたときの、あの雰囲気にちょっと似てるなと
モー娘。のころからリアリティ・ショーじゃねーかよ!って言うツッコミもあるのだけれど、あれは、グループができメンバーが成長していくまでの成長過程で、それをテレビやSNSやニュースで見せていく手法で、ライブにそれを持ち込んだのはあまりないのではないかと思う
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
AKBの大組閣とかはそれなのだろうけれど、それはサプライズ、終演後の発表であって、ライブ全体でそれを表現してるのがちょっとちがうなぁと。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
いや、どんどん話逸れてくし、どんどん考えてたのと違う日本語出て来る…
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
いまの若者は、アイドルに応援されたいわけではなく、アイドルというかっこいい存在に見入ってたい、ただ叫びたいだけなのかもしれない。ま、それ、今回のツアーの演出だけだけど。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
アイドルの偏極点
ま、いいたかったのは、なんかアイドルではないものを欅がつくっている、なろうとしているというよりも、アイドルに求めるものがそもそも、ここから変わっていく、アイドル界のフラッグシップなのかもっていう妄想。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
応援されるというよりも、突きつけられている現実に立ち向かっている彼女たちを見ることで奮い立つ、いや、お前ら何私たちのライブに何しに来てんの?っていう現実を、自分たちが逃げている現実を突きつけられることで、各々が感じる、そんな世界観なのかもしれない。僕の中ではそれもまた応援だけど
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
アイドルはどんなジャンルの音楽も取り込める器、フォーマットのような存在と言われてきたけれども、欅はそれを逆転させて、アイドルという存在がアーティストや演出における一部でしかない、道具でしかないという世界を作っているのだろうな。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
「心の中のモヤモヤを彼女達が大声で叫び出すことで救われる人がいる」って言うリプをよんで、あーそっちかぁサイマジョと不協和音は少なくともそうだし、せかあいもそうだよなぁと。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
そうですね、だからこそ、あのラストの「僕は嫌だ!」にあれだけの熱狂と狂気が生まれるのだなと!もうこれからはクリスマスライブとか乃木坂のフォーマットはやめて、アルバムツアーだけとかにしてほしいなと思いました笑
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
欅坂46はとんねるずの生まれ変わりだって信じてる
欅坂=とんねるずって思ってて、とんねるずが「一番偉い人へ俺達は何をするべきか」と語りかけた時代から20年経って、少女たちが「君は君らしく生きていく自由があるんだ大人たちに支配されるな」と言っているのは、絶対に秋元康的に偶然ではないだろうし、
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
みんなの腹の底にあるものを彼女たちが言葉に、声に、叫びに変えることで、救われていく、次に行けるという感じが2017年の応援スタイルなのかもしれない。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
漢字欅とひらがなけやきと欅坂46
漢字とひらがながいるから今回のライブは成立しているように思えて、漢字だけで2時間あれをやったら、体力的にも演出的にも持たないんじゃないかと。それがある意味限界みたいなものだけれど、ひらがなけやきの進化が欅の次のステージなのだろうなと。ま、ひらがなだけで単独やっちゃえてるけど。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
今回の欅の全ツは、最初からそう意図としていたというよりも、今までにないかっこいいライブを作ろうっていうコンセプトから、平手の体調不良、演出への手応えなどが相まって、最後の形になったんじゃないかなっていう妄想。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
追加メンバーなんで、2期じゃない!って言われそうな予感。それくらい、ひらがなが下部組織って銘打ってたのを破り捨てて、改めてけやき坂を作ろうとしているのではないかと。ほんと、あの2つで欅坂46ですね。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
まえに乃木坂をもっとすごくするにはどうすればいいのか?っていう問いに、ONE PIECEみたいに、メンバーが分かれて2年間修行に出るっていうアイデアを出したのだけれど、欅坂はある意味、漢字とひらがながおのおので力をつけ、欅坂46としてのライブに臨むっていう形なのかもしれない。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
5thシングルは無理だろうけれど、6thくらいから、ひらがなけやきでシングル分割して1stシングル出すんじゃないかなって思い始めたけど、そんなの運営耐えられる体力あるのか?って言う心配。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
モー娘。の期生に最近あんまり意味が無いように、人が減ったら補充する形式で、もう期生をつくらないんじゃないか、つくらないほうがいいんじゃないかって思えてしまいますね。なんせ、合言葉が絆なんで!
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
平手が裸の王様に見えてくるし、歌詞との矛盾が甚だしいし、でも、それを乗り越えていくという現実こそ欅坂46の真骨頂ではないかなって
ライブの最初の半分くらいを見ていると、どうしても平手はマリオネットに、裸の王様に見えてきて、辛くなってきて、歌詞と矛盾するこの感じ、神戸のときより強く感じると思ったけれど、途中から、それも含めて作戦。この、歌も演出も反抗的なもののなかに少女たちを放り投げて、
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
で、お前らどうするんだっていう大人たちからの挑戦状。シンジ君育成計画。AKBや乃木のようにアイドルとしての壁も山もなかったからこそ、今回のライブ、演出を通じて、メンバーが考え、行動し、殻を破っていくこと自体が物語であり、演出であり、ショーなのだろうなと。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
だからこそ、今は矛盾してていい。歌詞が偽りに思えてもいい。それを乗り越えて、自分たちのものにしたら、最強の欅坂になるから。って、なんか邪王炎殺黒龍波を受け止めた飛影のようなワンシーン。矛盾が欅坂を、世界をつくる。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
このあとからは蛇足がつづくよー
内藤哲也と欅坂46
つかもと!!!!そうそう、ももクロのときのアイドルとプロレスという文脈とはまた別の文脈でアイドルとプロレスが混じってきてる気がしてるのよ!!!なので、ちょっとプロレスのはなししたい!
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
そうか、ダークヒーローというアメコミのたとえよりも、新日におけるヒールという例えのほうがいいのかもしれない!!!棚橋は誰だ!ねるか!
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
蒼き伝説シュート!と欅坂46
乃木坂が掛川的なトータルフットボール、欅が九里浜学園的なキングダムサッカーだってずっとシュートに喩えてたんだけど、今日感じたのは、今の欅坂は久保がいる掛川で、久保がいなくなったあとに強くなるんじゃないかと思いはじめて、平手がそつぎ…いやなんでもない。
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日
最後に
ねるの制服がひらがなから漢字になった!って騒いでたのが1年前のTIFなのに、たった1年で、ひらがながこうも変わるとは…そして、ひらがなが、ねるがこんな存在になるとは。そういう意味で、平手は(漢字)欅坂46の未来だけど、欅坂46の未来はじつはねるなのではないかという妄想
— みよしこういち (@miyocco) 2017年8月30日